2007年6月23日土曜日

栗栖マンガン鉱山跡探索

<栗栖遊歩道 川平ルート>



次の目的は、マンガン鉱山跡。あじさい寺として有名な 「大泉寺」に車を止めました。(無断で車を止めないように)






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目的の川平ルートは今回が初めて。どんなところに鉱山跡があるのでしょうか。







まずは第1展望台へ。美濃加茂市方面がよく見えます。遠くには中央アルプスを望むことができます。






次に、第2展望台へ、先ほどとほぼ同じ景色。続いて第3展望台。ここでは、関市方面もよく見通すことができます。



登山口から、1Kmちょっとで栗栖鉱山跡入口にたどり着きました。そこから、急峻な道を下り、ほどなく鉱山入口に到着しました。





そこは、急斜面にへばりつくように坑道口が開いており、中は真っ暗。懐中電灯を持っていませんでしたので、奥が見通せません。一人でもあったことから、中を探索するのは断念しました。




マンガン鉱山は、犠牲が出ることが多いと聞いた記憶がありましたので、自宅で調べてみると、酸化していないマンガンは、酸素を吸着する性質があるそうです。それが、案内板に小さく書いてあった「ガス?」ということなのでしょうか。

ところで、「郷土読本 犬山」(昭和37年発行)によりますと、犬山市内のマンガン鉱山は、この栗栖地区だけではなく、楽田地区の本宮山近辺にもあったようです。安楽寺の東では硫化鉱を採掘した跡があるとの記述もあります。また、楽田では、銅の試掘跡があって、東海豪雨で崖崩れにより崩壊したという話も聞いています。機会があればハンマーを持って訪れてみたいと思っています。ちなみに、この栗栖鉱山跡は自然公園法の網がかかっているので、鉱物採取は注意が必要です。



さて、その後、天神山頂上、第四、第五展望台へと登って、そのまま川平ルートを引き返し、桃山ルートとの合流点を目指しました。





余談ですが、自宅へ帰って、栗栖鉱山跡について調べているうちに、この地域には美濃帯と呼ばれるチャート層があり、世界のどこにもない三畳紀の中頃からジュラ紀にかけて連続的に層をなしているチャート層があることが判明しました。このチャート層は、海の中で放散虫という1mmに満たない生物が死んで、その殻が堆積してできた層で、堅いことから火打ち石にも使われていました。

今から2億4500年ほど前、地球の生物種のうち96%(海生無脊椎動物種の絶滅率)もが絶滅と言われる重大な現象が起こっていました。こ存じの三葉虫もこのころ突然姿を消しました。この原因を突き止めるため、世界中の科学者が、証拠を探し続けていましたが、犬山地域で発見された連続的なチャート層が、世界で初めてそれを証明しました。

チャートは通常鉄分が酸化して赤茶けた色をしていますが、黒いチャートが発見されました。黒いチャートは、酸素が不足した状態で鉄が酸化したことを示しています。絶滅期には、チャートはできませんが、生物絶滅期の年代に黒いチャートが見られ、酸素が極端に不足した状態が度々あったことを示しています。そのため、生物種の多くが絶滅したのは、酸素不足によると考えられるようになりました。ただ、酸素不足になった原因は、明らかになってはいません。

犬山地域は、日本の放散虫研究のスタート地点であり、中心になった場所でした。この研究は、世界的にも先駆的な研究で、中生代の三畳紀・ジュラ紀の放散虫がどのように変わってきたかということが世界に先駆けて明らかにされたところでもあります。


2007.06.23 の犬山遊歩 (上から順に)

犬山城と木曽の流れ  (別ウィンドウ)
栗栖マンガン鉱山跡探索
桃山の御料局三角点、宮標石  (別ウィンドウ)