2007年12月1日土曜日

色鮮やかな紅葉、そしてカワセミも・・・

今日は、久しぶりに犬山を歩きました。11月は忙しくて、なかなか外歩きができませんでした。


まずは、朝日をとある場所から撮影。太陽柱の現象が見られましたが、上手くカメラに収めることができなかったので、少し残念です。




その後、寂光院へ移動して、紅葉を楽しんできました。一番近くにある駐車場は、午前7時30分には満車状態。


朝日に映える紅葉をカメラに収めようと、急いで参道を登ります。昨日、NHK名古屋が、この画像の場所をライトアップして生中継していました。




普段から、ライトアップをしてもらえるとうれしいのですが、何せ山の中にあり、犯罪等が心配されるため、致し方ないこととあきらめてはいますが、昨日の生中継は、とても幻想的でした。

境内へ長い階段を上っていきます。その途中途中にも紅葉が大変きれいなところがあり、所々で無意識に立ち止まります。


境内では、多くのアマチュアカメラマンが三脚をたて、熱心に紅葉をカメラに納めていました。

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次に、桃太郎神社へ移動しました。鳥居横の銀杏と紅葉が鮮やかな色彩を放ち、見る者に感動を与えます。今が見頃です。

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それから、モンキーパーク近くの氷室交差点に移動。ここには、国際交流村があります。ここの紅葉もとてもきれいなのですが、見頃は過ぎたようです。

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ここから、少し下流に下って、木曽川中流域の朝日が当たりかけた木曽川の写真を撮ろうと、木曽川端の道路を歩いていたところ、カワセミに出会いました。





魚を捕まえるためダイビングしましたが、その瞬間を捕らえることができず、とても残念。しかし、朝日が当たりかけた、美しい木曽川の風景を撮影することができたので、少し悔しさも和らぎました。




最後に、9時から始まるおさかなレスキューに参加。この行事は、国道41号線に面したため池である中島池、新池の外来魚駆除を行い、在来種を保護しようとするものです。





地域の子どもたちも、親公認で、泥にまみれ、水に浸りながら一生懸命魚を捕まえていました。





池干しをするため、中島池の水を新池へ流し、その放水口をせき止めて、すべての魚を保護し、外来魚は駆除しようとする活動です。今は、犬山里山学センターが主体となって行われており、平成17年からは、環境省の外来魚(オオクチバス)駆除のモデル事業に選定されているそうです。


1時間程度参加しましたが、その間はは、ブラックバスの姿は見られず、ブルーギルのみが捕獲されていました。その後、お昼近くまでおさかなレスキューは、続けられる予定と聞いています。




この活動は、着実に成果を上げているようです。しかし、大きな道路際の大きなため池。バサーにとっては、放流するのにとても都合の良いロケーションのため、気が抜けないことは確かです。


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2007年11月3日土曜日

本町通りの歩行者天国、社会実験です。

今日は、本町通りに出かけてきました。国土交通省が進めている社会実験の日。

社会実験とは、「新たな施策の展開や円滑な事業執行のため、社会的に大きな影響を与える可能性のある施策の導入に先立ち、市民等の参加のもと、場所や期間を限定して施策を試行・評価するもので、地域が抱える課題の解決に向け、関係者や地域住民が施策を導入するか否かの判断を行うことができる。」というものです。


難しいことは別にして、歩行者天国を設けて活気を取り戻す実験を住民と行政が協働して行った、ということです。





この本町筋は、道路の拡幅話があり、かつて、賛成派と反対派が対立したところです。でも、拡幅に賛成している人たちとこの町並みを守りたいという人たちが話し合いを重ね、結果として、道路の拡幅を中止した経緯があります。

今は、町の景観をより生かすため、電柱の地中化が進められています。


午前10時から午後3時まで、本町通りが通行止めとなり、所々に休憩できるように濡れ縁や長いすが置いてあったりしました。




今日は、犬山城、文化史料館、からくり展示館、どんでん館が市民に無料開放され、普段近すぎて来ることのない市民も、多く訪れていました。本町筋は、城前広場へとつながり、無料開放が、この賑わいに一役買っているのかもしれません。


また、ウォーキングに参加した人たちも多く訪れ、とてもにぎわっていました。


子どもは、道路に落書きをしたり、親子で町並みの絵を描いたり、路端のお店で串カツをほおばったりと、思い思いに楽しんでいました。

個人的には、あと、子どもが集う駄菓子やがいくつかこの通りにあって、小さな広場で子どもたちがいつもわいわいがやがやといつも遊んでいる風景があれば・・・と思いました。



騒音や、土地や、治安の問題で難しいのかもしれません。でも、リタイヤした大人たちが、見守ってあげる環境ができれば、できないことではないと思うのですが、いかがでしょうか。

2007年10月28日日曜日

城下町秋まつり 2日目 さわやかな秋晴

昨日は、台風の影響で16:00頃まで雨が降りましたが、今日は快晴。人出も昨年の2日目以上と感じました。


相変わらず、人気があり、行列が絶えません。この「山田五平餅店」は、テレビや雑誌などのよく取り上げられ、おいしい五平餅で有名な店です。店主によると、テレビ取材などがあっても、奥様は、手慣れたものだそうです。



戦国武将物語(甲冑行列)も行われ、テレビ局も少なくとも3社、ラジオの生中継が1社入っていました。





今日は、各務原市の航空自衛隊基地でも航空祭が行われ、ジェット戦闘機が華麗に空を舞い、同時に2つのお祭りを楽しむことができました。

さて、そのお祭りの会場のすぐそばでは、国立博物館の「大ロボット博」に出展される新町の車山の運搬準備が行われていました。


新町の車山は「浦島」と呼ばれ、他の車山とは違った独特の形をした舟型の車山です。

(写真の出典は、犬山市史 別巻「文化財、民族編」)







木でできた巨大な車輪が外され、ユニックでまず、トレーラーに積載。それから、巨大なクレーン車を使って、車山本体を慎重にトレーラーに積載していました。




「大ロボット博」の企画・運営は読売新聞東京本社、日本テレビ放送網、国立科学博物館のため、読売新聞の記者が取材に来ていました。2007年10月23日(火)~2008年1月27日(日)の間開催され、それに新町の「浦島」が出展されることとなったのです。

この車山を見て、さらに多くの人が犬山を訪れてくださることを願っています。

2007年10月27日土曜日

城下町秋まつり 夜車山 きれいでした

今日は、城下町秋まつり。台風20号の影響で、ずっと雨。

昨年は、半袖でちょうどいいくらいの秋晴れ。2日間とも透き通る秋晴れでした。


しかし、今年は、朝から雨。夜車山巡行が心配されましたが、16時には雨が上がり、16時30分に行われることが決定されたそうです。その後、人手が急に増え、城前の広場も人々々・・・。



車山は、本来13輛あるのですが、国立科学博物館、「大ロボット博」へ、新町の車山「浦島」が展示されるなどの事情により、10輛のお披露目となりました。


その車山に各町内の人たちが、次々と提灯を掲げていきます。この提灯は365個飾り付けられ、ろうそくが使われます。提灯の和紙をとおして、ろうそくがゆらぐ様子が、手に取るように見られ、とても幻想的で、なつかしい思いがします。

城下町秋まつりに、車山がお目見えするのは、3年ぶり。犬山の町衆の心意気により、実現したものです。



この車山は、犬山市のうち、犬山城下の13町内を中心として守り続けて来たものです。現在、高齢化が進み、この車山を守っていくこと自体大変です。車山を引く手子も若手が少なくなり、応援を得て成り立っているのが現実です。




最後に、各山が引き出され、自分の町内の車山蔵へ帰って行きます。






犬山の住民だけではなく、愛知の宝として、この車山と町衆の心意気を守っていくことが必要です。

明日は、甲冑を身にまとった武者行列が練り歩きます。時間があれば、行こうと思っています。

2007年10月7日日曜日

天道宮神明社 鬼祭り


今日は、実りの秋に感謝して、あちこちで古くからのお祭りが行われています。そこで、前原地区の天道宮で行われた天道祭(鬼祭り)に行ってきました。





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場所は、前原天道新田にある大同メタル工業(株)犬山事業所の西です。

この天道宮は、かつて入鹿村にあり、入鹿池(「ため池巡り」(別ウィンドウで開く)の築造に伴って寛永12年(1635年)に現在の地へ移築されました。当時、入鹿村には40軒の家があり、その内24軒がこの天道宮のある前原地区へ移転しました。

入鹿村にあった頃は天頭社と称し、その社内には白雲尼が開山した入鹿山白雲寺という寺社がありましたが、明治3年(1870年)に神仏分離令により白雲寺は廃寺となり、現在は残っていません。


この天道社には、とても立派な楼門があります。この楼門の創建年月は不明ですが、安閑天皇(532年~536年)の勅願によって、入鹿村に建立され、寛永12年(1635年)に現在の地へ移築されたとされていました。



昭和34年1月16日に愛知県の有形文化財に指定されましたが、境内を横切る都市計画道路が決定されたため、西に54メートルの位置に解体、修理、移築されることとなりました。現在のところ、道路は高架で計画されています。

解体の結果、「移築した痕跡が見られない。現在の地で建立されたもののようである。」とされましたが、建立の時期は明らかにはされていません。


さて、この天道祭ですが、前出の白雲尼を讃えて始まったと言われています。かつては、近郷から多くの人々が集まり境内がいっぱいになりましたが、経済が高度成長時代を迎えるとともに寂れていったようです。

古くは、山車(神楽)2台、神馬1頭、馬の塔(オマント)が5つ、鬼、おたから獅子が境内を練り歩いたようですが、現在は、山車(神楽)1台、鬼、おたから獅子と簡素化されています。

以前は、祭礼の最後に鬼は、山神にお参りするため裏山に登っていました。白雲寺は廃寺となりましたが、神仏習合の名残を残しています。現在は、大同メタル工業(株)犬山事業所敷地となったため、山神は、神社の本殿裏に移されており、鬼は、本殿でお参りした後、本殿裏へ回って再度お参りします。


鬼は、子どもたちを追いかけ、おたから獅子は、子どものあたまを噛んだりしながら、270mほどある参道を本殿に向かって進みます。





鬼が持つ榊の葉を取ったり、榊でたたかれたり、おたから獅子に噛まれたりすると、健康と勉学にご利益があるとされています。戦時には、この地区の出征者には、死者が少ないとして多くの人々の信仰を集めたそうです。


このお祭りを見に行って感じたことは、子どもたちが生き生きとして、「あか鬼」から逃げ、そして追いかけ、男の子も女の子も無我夢中で榊の葉をむしり取ろうとしていました。すべての子供の目が、輝いていました。

子どもが主役となり、「あか鬼」が祭りを盛り上げる。子どもたちは、「鬼ごっこ」を心ゆくまで楽しんでいました。

【参考】
1 天道宮神明社・楼門の歴史
2 尾北ホームニュース (別ウィンドウで開く)
(平成19年9月29日発行 4面 「江戸時代から続く「鬼祭り」)

2007年10月6日土曜日

犬山市には愛知県下最多の登録文化財

今日は、新たに答申された登録文化財5カ所をマウンテンバイクで回ってきました。

国の文化審議会が、文化財建造物の登録について、9月21日(金)に文部科学大臣に答申したことが、新聞紙上で報道されました。愛知県の物件19件が含まれ、そのうち犬山市の物件が16件を占めています。

この登録文化材制度は、外観を残せば、内部の改修は行えるなど活用しながら文化財を保存するという制度で、平成8年から始まっています。

前置きはさておいて、それぞれ簡単にご案内しましょう。

▼佐橋家住宅(1件)

現在「寅屋」という仕出屋さんですが、かつては、割烹料理屋を営んでいました。その名残を良く残した明治中期に建てられた町家です。



・所在地-犬山市大字犬山字東古券457
・対 象-主屋

▼常満寺(7件)

浄土宗のお寺で、天応4年(1291年)に創建されたと伝えられ、永徳4年(1384年)銘の宝篋院塔などが残されています。



山門は、明治10年(1877年)に犬山城の松の丸裏門を移築したものです。
・所在地-犬山市大字犬山字西古券281
・対 象-本堂、観音堂、大師堂、鐘楼、庫裏、玄関、山門

▼専念寺(2件)

浄土宗のお寺で、京都知恩院の直末で、弘治元年(1555年)犬山城主池田信輝によって創建され、その伯父が開山したとされています。



本堂は、寛文13年(1673)に再建されました。庫裏の建築年代は、元禄2年(1689年)と古く、当時の部材や間取りを残しています。
・所在地-犬山市大字犬山字西古券262
・対 象-本堂、庫裏

▼浄誓寺(1件)

浄土真宗大谷派のお寺で、草創は池田左京太夫源頼重で、蓮如の弟子となり乗阿と称し、明応5年(1496年)池田郡池田村に心光坊を建立しました。



天文年間(1532年~1555年)には、犬山の木下村に移り、元和5年(1619年)には、寺号を浄誓寺と改め、江戸中期に現在地へ移ったとされています。本堂は、文化5年(1808年)に建て替えられています。
・所在地-犬山市大字犬山字東古券256
・対 象-本堂

▼西蓮寺(5件)

浄土真宗大谷派のお寺で、美濃国主土岐左京進源賴茂が蓮如の弟子となり、法名を信慶と称しました。




文亀元年(1501年)宇留間(現在の岐阜県各務原市鵜沼)より犬山北宿(犬山の寺内町~熊野町界隈)へ移り、同3年(1503年)真蔵坊を創建し、慶弔14年(1609年)寺号を西蓮寺に改めました。現在の本堂は、元文4年(1739年)に焼失し、宝暦10年(1760年)に建立されたものです。

・所在地-犬山市大字犬山字東古券539
・対 象-本堂、庫裏、書院、蔵、山門


愛知県全体では、現在258件が登録あるいは答申済であり、今回の19件を加えると、277件の登録文化財を有することになります。

そのうち、犬山市には123件の登録文化財がすでにあり、それに16件が加わることになり、愛知県下の登録文化財の実に5割を占めています。そのうち、59件が明治村に有る物件で占められています。

詳しくは、犬山市の公式Webサイト Home>学ぶ> >文化財・博物館>国指定文化財・県指定文化財 (別ウィンドウ)をご覧ください。

なお、参考までに、登録の基準は、建築後50年以上を経過し、かつ、次のいずれかの条件に該当する場合です。

1 国土の歴史的景観に寄与しているもの
2 造形の規範となっているもの
3 再現するのが容易でないもの

該当する構築物としては、住宅、工場、寺社、橋、ダム、トンネル、塀などです。

2007年9月29日土曜日

秋の犬山キャンペーンプレイベントへ


今日は、天気が悪いためどうしようか迷いつつ、国宝犬山城へ行ってきました。





キャッスルパーキング駐車料 200円
入場登閣料 大人500円 小・中学生100円

国宝犬山城と駐車場を供用する体育館で、市内の幼稚園の運動会がありましたので、駐車場は大混雑。運悪く、駐車できない観光客もおいでになられたようです。

国宝犬山城では、「秋の犬山キャンペーン発表会」が催されていました。


犬山のキャラクターワン丸君も参加しており、子ども連れのご家族は、ワン丸君と一緒にお子さんの写真を撮っていました。




以前、「国宝彦根城築城400年祭」のねこのキャラクター「ひこにゃん」が一部で爆発的な人気を誇っているとネットで話題になっていたことがありましたが、個人的には、このワン丸君の方がかわいいのではないかと思っています。みなさんは、いかがでしょうか。

「ひこにゃん」の着ぐるみ姿は、ネットで探してみてください。なお、画像は、「ひこにゃん」のキャラクターグッズです。


入場するときに、試食券とどれがおいしかったか投票する用紙を受け取りました。それは、キャンペーン企画「城下町串めぐり」というもので、運良く、3種類各1本試食することができました。どの串に人気があるか、投票を募るのだそうです。


焼きホタテ串、五平餅、味噌串カツを食べてみましたが、どれも美味でした。

私は、お城へ続く本町通りにあり、雑誌やテレビなどでよく紹介されている「山田五平餅店」の五平餅の味が以前からとて好きで、今回、それを試食することができ、得した気分になりました。もちろん、この五平餅に投票しました。
(画像は、2006.10.28撮影)


「秋の犬山キャンペーン」は、名古屋鉄道株式会社との共同キャンペーンです。期間は、10月1日~12月9日です。

キャンペーン期間中、次のような企画があります。

▼城下町 串めぐり
20店舗が参加し、城下町歩きに串グルメの楽しみを
・桃太郎公園売店(5店舗) - 木の芽でんがく(550円)ほか
・フレンチなり多 - 生チョコの串(1本200円)
・大八-紅葉田楽(500円)
・松野屋-でんがく(550円)
・町家処 どんでん-串カツ(1本100円)
・サンパーク犬山-焼きホタテ串(2本500円)
・角屋-味噌串カツ(1本100円)
・犬山国際ユースホステル-きびだんご串(1本100円)
・ねこてい-馬刺と串のセット(1,500円)
・山田五平餅店-五平餅(1本100円)
・犬山おどき-抹茶串トースト(1本160円)
・大野屋-抹茶だんご(1本105円)
・桜屋菓舗-紅葉のかんざし(1本200円)
・厳骨庵-きびだんご串(1本100円)
・東屋餅菓子舗-州浜だんご(1本100円)
・リトルワールド-山形名物力こんにゃく(2本300円)

▼キャンペーンパンフレット「町ある記」の配布
まちの地図や、グルメ、お土産などの情報を満載。また、パンフレットを提示すると、市内57箇所のお店や犬山城などの施設での割引特典が受けられます。

▼紅葉期間限定無料バスの運行(2ルート)
犬山遊園駅東口-寂光院下-桃太郎公園-観光農園(往復コース)
犬山遊園駅東口→犬山城下→有楽苑前→犬山遊園駅東口(循環コース)
特に寂光院あたりの紅葉はお勧め

(画像は、昨年11月25の寂光院の新しい参道の紅葉の様子です。)





▼ハイキング大会(12月2日(日))
「深紅に染まる寂光院の紅葉と犬山成田山」
名鉄広見線西可児駅→犬山遊園駅

▼名古屋駅でのからくり披露
10月19日(金)12:30、14:00
名鉄百貨店 ナナちゃん人形前

▼ぶらり城下町スタンプラリー
3つのお店をまわって、総額100万相当の景品プレゼント

▼城下町秋まつり 詳しくはこちらをご覧ください。(pdf 別ウィンドウ)


(画像2点は、昨年10月29日(日)のおまつりの様子です。)

10月27日(土)、28日(日)には、城下町秋まつりが開催されます。公共の駐車場が限られています。


名鉄犬山駅から犬山城までは、町歩きしながら徒歩で15分程度で行けますので、電車の利用をお勧めします。






(犬山祭の画像3点は、今年4月7日(土)の車山とからくりです。)






特に10月27日(土)には、からくり人形を積んだ全13輌の車山の内10輌の車山が3年ぶりに城下町秋まつりを彩ります。




春に来られなかった人は、是非訪れてみてください。






犬山市公式WEBサイトの記者会見資料では、名古屋鉄道株式会社と共同で行った春の大型観光キャンペーンにより、犬山城登閣者が8万人を越す(万博開催年比約35%増)など大きな成果を収めたことから、引き続き名古屋鉄道株式会社と共同で秋と春に集中大規模観光宣伝を行うことが書かれています。

今回も、春と同様成果が上がり、犬山の知名度が上がることを願っています。

最後に名鉄さんにお願いなのですが、次回は、是非、城東、今井、羽黒、楽田、池野各地区にもスポットを当てて頂きたいと思います。

「秋の犬山キャンペーン」の詳細は、犬山市観光協会(別ウィンドウ)のサイトをご覧ください。

2007年9月26日水曜日

楽田地区で見つけた香り米(古代米)


犬山市の楽田地区の田園地帯を車で通っていたところ、金色に輝く稲穂の一角に黒く輝く稲穂を見つけました。





この地区では、この黒い香り米(古代米)を地区の特産品にしようという活動があり、平成12年からは、地元商工業者組織ととコミュニティ組織が一緒になって商品化にも取り組んでいます。

香り米(古代米)とは、稲の原種である野生稲の特徴を受け継いでいる米(稲)のことで、次の様な特徴があります。

1.玄米の色が赤や黒や緑など有色米が多い。
2.稲穂に針のような芒(のぎ)を持つものが多い。
3.生命カが極めて強く荒れ地や干ばつなどに強い。
4.背丈が1.5メートル以上にもなり、倒伏しやすい。
5.実りのころ、籾が自らこぽれ落ちるものが多い。
6.現代の米に比べて収穫量は半分以下と少ない。



画像で、現代のお米と香り米(古代米)を比較すると、ほかの稲(愛知の香り)より、背が高い特徴を見て取ることができます。





また、左の画像を拡大してみると、香り米(古代米)の色と稲穂の一粒一粒に針のように生えている芒(のぎ)の特徴がよくわかります。




黒米は、ふつうのお米に、少量混ぜて炊くと、ピンク色に炊き上がり、おにぎりにして食べても、ちょっとねばっとしていて美味しいものです。昔は、アズキを入れなくても赤飯を作ることができたのです。



香り米(古代米)は、尾張二之宮の大縣神社や県下二番目の規模を誇る国の史跡青塚(王塚)古墳などの古代のロマンの薫り高き楽田地区のイメージにぴったりです。



香り米(古代米)を使った切り餅や饅頭、ケーキなどの試作品も完成し、2005年に開催された愛知万博でも試作品を出品したところ、「珍しいし、とてもおいしい」と人気を集めました。

犬山市の特産品協会のメンバーらが「観光土産は観光開発の一翼を担うもの。人気のある新しい特産品を目玉にして、全国に知らしめよう」と「濃尾香り米倶楽部」を結成し、「古代濃尾の香り米」と名付けた香り米(古代米)を使った特産品8種類を開発しました。

開発した商品は、濃尾の香り米入りのざるうどんや豆腐各種、鮎ぞうすい、香り米玄米茶、古代米こわ餅、ういろう、赤飯まんじゅう、ロールケーキジャポネの8種類です。

黒米のヌカの部分に含まれている黒色系色素(アントシアニン)には、血管を保護し動脈硬化を予防する効果や、老化に関わる抗酸化作用が認められます。それ以外にも黒米は、白米と比べて、ビタミン類、鉄分、カルシウム、マグネシウムや亜鉛といった現代人に不足しがちな栄養分が多く含まれています。


まだ、この楽田地区でも香り米(古代米)の栽培は、ごくわずかですが、是非古代のロマンをもたらす特産品として定着してほしいものです。地域のお豆腐屋さんは、このお豆腐を使った味噌田楽を提供して、老人ホームなどを慰問されています。

2007年9月25日火曜日

「中秋の名月」 犬山で十五夜お月様

しばらく忙しく、書き込みができませんでしたが、今日は、「中秋の名月」であることを思い出し、犬山の生家の庭で月を眺めました。


幸い空気が澄んでおり、美しい月の姿を捉えることができました。






昔から、秋が月を見るのによい季節とされていました。それは、月が高く、空気が澄んでいる秋が月を眺めるのにとてもよい季節であったからです。

中秋というのは、7月~9月のちょうど真ん中の日が、8月15日(十五夜)であったため、その日の月を「中秋の名月」と呼んで、月をめ眺めることにしたのです。実は、「中秋の名月」は、歴から生まれたものであり、満月の出現とは、異なるものなのです。

ちなみに、8月15日!?・・・ これは、旧暦(太陽太陰暦)です。太陽の運行を基にした365日を基礎とした太陽暦は、明治に入ってから使われはじめ、新月から新月までの月の満ち欠けを基にした太陽太陰暦は、1年はおよそ354日とされ、今年は今日、9月25日が中秋にあたります。

日本では、太陰太陽暦の暦法である和暦が使用されていました。新月から次の新月までは平均して約29.5日ですので、12カ月間=約29.5日×12=約354日となります。これは太陽暦の1年365日より約11日短いため、そのままでは季節とずれていってしまいます。そこで太陰太陽暦では、暦と季節のずれが大きくなってきて、ひと月分に近くなると、閏(うるう)月というものを入れて、ずれを修正しました。すなわち閏月が入ると、1年は13カ月になります。そのため、中秋の名月を太陽暦の10月に迎えるときが出てくるのです。

ところで、前述のように満月の出現と中秋は別物で、事実、今日の月は満月ではありません。写真をよく見ると、左側が暗くなっているのがわかります。月と地球の公転軌道の関係で、新月から満月までの日数が15日とは限らないために起こります。


実際、9月の新月は、9月11日であり、満月は9月27日となっており、今年の中秋の名月は、満月ではありません。

いずれにしても、月は、普通に写真が撮れます。今日の写真は手持ちで撮影したものであり、35ミリ換算で500ミリ以上の望遠が使用できる手ぶれ補正付きのメラであれば、かなり美しい月が撮れると思います。今日の画像も、犬山城あたりを背景にできればよかったのですが、お酒を飲んでしまったあとだったので、断念しました。

ちなみに、今日の酒の肴は里芋の煮付け。これに、ニンニクで香り付けをすると、とてもよい酒の友に。これを作ってくれた家内に感謝。

「中秋の名月」は、別名「芋名月」とも呼ばれます。里芋がおいしい、酒も進む。月は、天高く、涼しい夜を気持ちよく過ごすことができました。でも月夜の夜は・・・