2007年10月7日日曜日

天道宮神明社 鬼祭り


今日は、実りの秋に感謝して、あちこちで古くからのお祭りが行われています。そこで、前原地区の天道宮で行われた天道祭(鬼祭り)に行ってきました。





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場所は、前原天道新田にある大同メタル工業(株)犬山事業所の西です。

この天道宮は、かつて入鹿村にあり、入鹿池(「ため池巡り」(別ウィンドウで開く)の築造に伴って寛永12年(1635年)に現在の地へ移築されました。当時、入鹿村には40軒の家があり、その内24軒がこの天道宮のある前原地区へ移転しました。

入鹿村にあった頃は天頭社と称し、その社内には白雲尼が開山した入鹿山白雲寺という寺社がありましたが、明治3年(1870年)に神仏分離令により白雲寺は廃寺となり、現在は残っていません。


この天道社には、とても立派な楼門があります。この楼門の創建年月は不明ですが、安閑天皇(532年~536年)の勅願によって、入鹿村に建立され、寛永12年(1635年)に現在の地へ移築されたとされていました。



昭和34年1月16日に愛知県の有形文化財に指定されましたが、境内を横切る都市計画道路が決定されたため、西に54メートルの位置に解体、修理、移築されることとなりました。現在のところ、道路は高架で計画されています。

解体の結果、「移築した痕跡が見られない。現在の地で建立されたもののようである。」とされましたが、建立の時期は明らかにはされていません。


さて、この天道祭ですが、前出の白雲尼を讃えて始まったと言われています。かつては、近郷から多くの人々が集まり境内がいっぱいになりましたが、経済が高度成長時代を迎えるとともに寂れていったようです。

古くは、山車(神楽)2台、神馬1頭、馬の塔(オマント)が5つ、鬼、おたから獅子が境内を練り歩いたようですが、現在は、山車(神楽)1台、鬼、おたから獅子と簡素化されています。

以前は、祭礼の最後に鬼は、山神にお参りするため裏山に登っていました。白雲寺は廃寺となりましたが、神仏習合の名残を残しています。現在は、大同メタル工業(株)犬山事業所敷地となったため、山神は、神社の本殿裏に移されており、鬼は、本殿でお参りした後、本殿裏へ回って再度お参りします。


鬼は、子どもたちを追いかけ、おたから獅子は、子どものあたまを噛んだりしながら、270mほどある参道を本殿に向かって進みます。





鬼が持つ榊の葉を取ったり、榊でたたかれたり、おたから獅子に噛まれたりすると、健康と勉学にご利益があるとされています。戦時には、この地区の出征者には、死者が少ないとして多くの人々の信仰を集めたそうです。


このお祭りを見に行って感じたことは、子どもたちが生き生きとして、「あか鬼」から逃げ、そして追いかけ、男の子も女の子も無我夢中で榊の葉をむしり取ろうとしていました。すべての子供の目が、輝いていました。

子どもが主役となり、「あか鬼」が祭りを盛り上げる。子どもたちは、「鬼ごっこ」を心ゆくまで楽しんでいました。

【参考】
1 天道宮神明社・楼門の歴史
2 尾北ホームニュース (別ウィンドウで開く)
(平成19年9月29日発行 4面 「江戸時代から続く「鬼祭り」)