京都の祇園祭と犬山祭(番外編)
7月16,17日京都の祇園祭に行ってきました。
最近仕事が忙しく、動きが鈍っています。久しぶりの休暇でした。鴨川の納涼床を横目で見ながら、祇園を八坂神社へと向かいました。
祇園祭は、約1150年の伝統を有する八坂神社の祭礼で、古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京をはじめ各地に疫病が流行したとき、神泉苑に当時の国数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立てて祇園の神を祭り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。
何の下調べもなく、京都に着いて祇園祭の案内をもらって初めて知ったのですが、犬山同様、京都にも船型をした鉾が一輛あったのです。高山祭にも、かつては、「船鉾台」といった屋台があったようで、調べてみると各地に船型の車山(山車)が残っているようです。長浜の船町組の曳山「猩々丸」(しょうじょうまる)、唐津の大石町の六番曳山「鳳凰丸」(ほうおうまる)、江川町の十四番曳山「七宝丸」(しっぽうまる)など多くの車山(山車)の中に1、2輌船型のものがあるようです。
興味を引かれましたので、早速宵山に出掛け、提灯で彩られた、「船鉾」(ふなぼこ)を見てきました。
「船鉾」は、神功皇后(じんぐうこうごう)の説話にもとづき、舟の形につくられた鉾で、舳先(へさき)には瑞鳥の金色の鷁(げき)を飾り、艫(とも)には黒漆塗螺鈿(らでん)の飛龍文様の舵、船端には朱漆塗の高欄、唐破風入母屋造りの屋根をそなえています。2本の旗竿を立て,そこに紅白の吹流しと長旒(ちょうりゅう)をはためかせて山鉾巡行を進んでいきます。
犬山にも、船形をした「浦嶌」という車山(やま)があります。
この車山には、名前どおりの浦島太郎のからくりが載せられています。
興味を引くのは、京都の祇園祭の32輛の山鉾の内、船型の鉾は、唯一のものであり、同様に犬山にある13輛の車山にも船型の山も一輛のみで有ると言うこと。そして、京都の船鉾が、「新町通綾小路下ル」に組み上げられており、犬山の「浦嶌」も「新町」の車山であり、そこには不思議な歴史の縁を感じました。
ちなみに、「浦嶌」の歴史は、比較的浅く、明治6年(1873)に名古屋から譲り受け、明治20年(1887)に3層に改造したとされています。また、京都の「船鉾」同様船首には鷁首(げきしゅ)が飾られており、構造的に鶏形に似た形をしていることから、「鶏車山」(とりやま)とも呼ばれています。
山鉾巡行では、あまりの熱気と暑さにダウンして、木偶師(からくり人形師)玉屋庄衛兵さん操るカマキリのからくりが載った「蟷螂山」やこの「船鉾」を昼間に見ることができず、大変残念な思いをして帰ってきました。
今回初めて、山鉾の重量測定が行われました。世界無形文化遺産への登録申請を目指す祇園祭山鉾連合会が、準備作業の一環として今年初めて実施したものです。32基の山鉾のうち最重量は月鉾の11.88トン、最軽量は綾傘鉾の0.36トンだったそうです。今後、囃子方や懸装品などの重さを引いて山鉾本体の重量を出していくということです。
ところで、犬山祭の車山は、本体のみで3トン程度と言われています。
来年は、山鉾32輛全てと、辻回し (車輪の下に竹を轢いて水を打ち方向転換する。犬山の車山が辻で方向を転換する方法としては、「車切」にあたる。もう一つの方法である「どんでん」は、片側の車輪を持ち上げて方向転換するため、方法が異なる。) を間近で是非見に行きたいと思っています。