2012年4月21日土曜日

2012 楽田のため池 「上蓮池」の御衣黃桜

曇りがちな空の中、マウンテンバイクを駆って犬山城へと続く本町通りへ
偶然、日頃から良くしていただいている知人と出会い、一緒にコーヒーブレイク
少し休憩したためか、まだ走り足りない気がして、楽田地区で一、二の大きさを誇る通称「上蓮池」へ


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とても穏やかで、波一つ無い水面






カモが悠然と水面をかき分け、時には捕食のために激しく水面下に潜り、再びのんびりとした風景が時を忘れて流れていいます。




でも、実は、水面下で足をバタバタと忙しく動かしている。そんな様子を想像するとなんだか可笑しくなってきます。


それから、この池は釣りが禁止されています。ご注意ください。






ひとしきり写真を撮って、何かこの池に関する文献はないかと探したところ、「楽田村史」にこんな記述が・・・

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本村地方に於いて入鹿用水流注以前の灌漑用水は、主として池沼に便りて利用した。何分本村内に於いては、丘陵地帯方面は古来自然の池沼を多く存する。水の不足をは告げることはいったって尠ない。主要なる池沼において、その要目を挙げぐれば次の通りである(何れも官有地なり)。
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と記載され、その他の代表的な溜池とともに「上蓮池」の詳細が次のように記載されていた。

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【上蓮池】
所在地・・・・・・・字蓮池八三番地
池の面積・・・・・16.222歩
池部・・・・・・・・・15,913歩
堤防・・・・・・・・・・・・・314歩
満水時の水深・・・・18.0尺
池底の縦長・・・・145.5間
横長・・・・・60.3間
灌漑地・・・・・・・・・山ノ田、鎌柄畷、蓮池
灌漑面積・・・・162,829歩
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岸辺には、数本の桜が植えられ、その中には、これから満開を迎えようとしている「御衣黃桜」が植えられています。





御衣黃桜は、緑色をしており、咲き始めは緑の葉に混じり、花が咲いているのかどうか遠目ではわかりません。オオシマザクラ系の桜で、花の色が高貴な貴族の衣裳のイメージがあり、御衣黄の名前が付いたと言われています。時がたつにつれ、次第に緑色は薄れて黄緑色から黄色になり、やがて中心部が筋状に赤くなります。

これからが、見頃です。



また、この「上蓮池」にそって走る市道を隔てた池の北側の山の中には、明治31年に「入鹿切れ」(入鹿池の決潰)の犠牲者の鎮魂のための地蔵が道路から見える位置に建立されています。







楽田村史には、次のように書かれています。

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附 天災・地変

・・・略
明治元年五月十四日大雨連日入鹿池決潰し家屋無数の人畜の死傷算なし本村巾下附付近(大口村地区)は洪水の厄を蒙り殆ど災害を受け死傷者はなはだ多し。
・・・略
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また、「入鹿溜池の決潰」の項目には、次のように詳細が書かれています。

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Ⅰ 入鹿溜池の決潰

入鹿溜は、寛永五年六人衆小牧村、外坪村、田楽村等居住の大地主が発起し、成瀬氏犬山藩主を通じ、本藩尾張へ溜池築造の允許を願い出てついに完成した。灌漑用水源で、其の貯水面積は約五十一万余坪を有する地方随一の溜池であって、北方は上等村の丘陵山脈、東は入鹿村の小山脈、西は本宮山尾張富士の山々、南は篠岡村の山脈に囲まれ、既に自然に溜池の形状をしていたのを利用して、西南方を堰き止め池となした地形であったが、西南部に杁樋を設け、その水量を導き入鹿用水へ落し、丹羽、東西春日井三郡の田地に灌漑したのである。

而るに明治元年四月、五月に亘って豪雨が連続し、ついに溢水に及んで其十四日暁天に一大音響とともに俄然其の築堤は決潰したのである。されば、滔々たる池水は一時に低地に向かって流出し尾張富士、本宮山の狭間に奔流西方低地の村々を流亡した。その被害は丹羽、西春日井郡、東春日井郡三郡に流れ氾濫被害村凡て六十二村、余流を蒙る数百村、亡失家屋千有余戸、溺死者千を持って算う。陥没の良田幾千町歩に至る。その最も被害甚大なりし村は、羽黒・河北・小口・下野・余野・伝右ェ門新田・宗雲新田・楽田・橋爪・五郎丸であった。

当時本藩はこの災害を憐れみ、被害者に対し五ケ月分の給与米を支給し、其他手当金、苗代金田畑復旧費を給与したが、金額は五万千余両であったが、その一戸あたりの配分状況は記録が欠けて知り難い。
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昨今は、東海、東南海連動地震による被害想定が厳しくなり、地震への備えがより厳格に求められています。

入鹿池の耐震診断はまだこれからと聞いています。このように、過去には、大変大きな被害を発生させています。少しでも早く耐震診断を実施し、補強が必要な場合は速やかに対応することが望まれます。

今日は、走行距離20㎞というところでしょうか。メタボ脱却のためにこのまま続けばいいのですが・・・