2007年7月16日月曜日

黒平山(八曽山)の廃寺跡探訪


今日は、台風一過、空気がいいので、視界が開けている黒平山(八曽山)を目指しました。







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今日のコースは、亀割(今井)駐車場→展望台(ヘリポート)→八曽滝→黒平山(八曽山)→今井村道標→亀割(今井)駐車場と歩くつもりです。



早朝、亀割池奥にある亀割(今井)駐車場に駐車しました。まずは、管理車道に入り、展望台(ヘリポート)を目指しました。





右上に見える屋根が、八曽の展望台です。手前にヘリポートがあります。平成6年に起こった八曽での大規模な林野火災では、ヘリコプターをを使ったり、多くの消防署員、消防団員の消火活動があって鎮火し、やっと自然が回復してきました。



しばし、展望台で休憩を兼ねて風景を楽しんだあと、八曽滝を目指しました。



昨日通過した台風のおかげで、八曽滝には、普段の数倍の水量があり、豪快に水が流れ落ちていました。この黒平山には、かつて寺院があり山伏がこの滝で修行したと言われています。別名「山伏の滝」と言います。


滝を眺め、滝音を楽しんだあと黒平山山頂を目指しました。



黒平山山頂付近一帯には、石垣の遺構があります。現在の犬山市大字塔野地にあった「宗岳寺」を再興した跡です。





「宗岳寺」は稲沢市から塔野地に1720年移転、その後1847年伽藍焼失し、そのまま放置されていました。それを明治11年(1878年)頃、「奥平貫山」が再建したものです。信徒であった入鹿村からの寄付があり、知多の石工が石垣を組んだと伝えられています。本堂・庫裏一棟(六間半、四間の大きさ)、仏堂一宇、鎮守堂一宇が尾張、美濃境にあった黒平山の山頂に再建されました。「奥平貫山」は遠州秋葉寺(現秋葉神社)で修行したことから、本尊である薬師如来像のほかに、住職をしていた遠州千光寺からもたらされた秋葉三尺坊大権現が祀られ、12月には、尾張の三大祭りと言われた「秋葉の火祭り」が盛大に催されたと言われています。「奥平貫山」は、民権運動に関わっていたと推察され、その軍資金を強盗により得ようとした「名古屋事件」に連座し、明治17年(1884年)12月逮捕、その翌年獄死しました。[資料 犬山市史 通史編 下 近代 現代 P60~P77]



この山頂には、小さな祠があります。その祠の奥には、二等三角点があります。山頂の周りもぐるっと石垣が囲んでいます。





犬山城、伊木山方面を望むとやはり、この時期としてはいつもより空気が澄んでおり、遠くまで見渡すことができました。






左手に視線を移せば、入鹿池、その奥に本宮山、右手に尾張富士を望むことができます。






2007.07.16 の犬山遊歩 (上から順に)

黒平山(八曽山)の廃寺跡探訪
八曽の宮標石、今井村の道標  (別ウィンドウ)
成田山、伊木山へ少し道草  (別ウィンドウ)