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2012年5月27日日曜日

2012 石上げ祭り 謂われを尋ね尾張富士

昨日、お酒を飲み過ぎたかも。ちょっとつらいが、気分転換に、尾張富士へ登ってきました。


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ここは、毎年8月の最初の日曜日に行われる奇祭「石上げ祭り」で有名な所です。









麓には、木花開耶姫命が祀られている大宮浅間神社があります。






木花開耶姫命は、妻の守護神、安産の神、子育ての神とされています。富士山本宮浅間大社と全国の浅間神社に祀られています。




この尾張富士には、「こぼれ土」というダイダラボッチ伝説があります。
「尾張富士は、神様が富士山をつくるため、近江から土を両手に持って走る途中、こぼれた土でできた。神様が土をすくった跡が、琵琶湖となった。」
というものです。

また、石上げ祭りにまつわる言い伝えとしては、次のような山同士の「背比べ」伝説があります。

「昔、隣の本宮山と尾張富士が背比べをするため、山頂に樋をかけ、水を流したところ、尾張富士の方に水が流れた。尾張富士の方が背が低かったことを木花開耶姫命は、大いに嘆いた。五郎丸に住んでいた八百年生きたという尼(八百比丘尼)の夢枕に木花開耶姫命が立ち、隣の本宮山より背が低いのを嘆いて、小石一つでもいいから積み上げてくれれば、願いを何でも叶えてやるとのお告げがあった。これを尼が村人に話すと、皆、石を上げるようになり、郷の人々は、家内安全、無病息災でに暮らした。」
というものです。


王貞治や故兵藤(前畑)秀子、中曽根康弘、海部俊樹、つぼいノリオ??などの著名人が多く石を献上(献石)をしています。





石上げ祭りは、昼間だけでなく、石上げ祭りの日の夜には、たいまつを振り回しながら、山を下る「火振り神事」があります。

今日は、「こんな所から石を上げるの」と思う正面の崖?から上りました。実際、大きな献石がありたこちらにあり、自分もかつてとあるグループで、2トン以上ある献石を途中まで運んだ経験があります。午前9時を過ぎると暑くなるため、朝6時に麓を出発した記憶があります。


こちらは、途中にある中宮







後ろを振り返ると、養老山脈方面が一望できます。犬山市立東部中学校のグラウンドが写っています。









この少し上に、言い伝えをご紹介した八百年生きたという八百比丘尼にまつわる石があります。










そのいわれが、こちら








まだまだ、こんな急でごつごつした岩が突き出ている道を上っていきます。







さらに上ると、突然石段が現れます。






石段から、振り返ると、ライバル本宮山を望むことができます。





そして、段を登り切ったところに、奥社があります。奥社の境内には、献石が所狭しと敷石のように敷き詰められています。




奥社と反対方向に歩くと、尾張富士の山頂であることを示す石柱があります。標高は277メートル。それに対して、ライバル本宮山は、293メートル。その差14メートル。両方見比べても、差があるようには見えません。よほど、木花開耶姫命は、悔しかったのでしょう。そこへ、女人禁制の神域に入り込んできた八百比丘尼を思わず利用してしまったということでしょうか・・・



帰りは、上ってきた石段の左手にある階段を降りました。来た道を戻ることも考えましたが、昨日のお酒が抜けていないかもしれないので、安全策をとりました。




階段を降りきったところには、舗装された道路があり、麓の駐車場につながっています。


途中に、銀明水と命名された水が流れていました。








そのいわれが、こちら








小さな沢から流れ出ています。







尾張三山(本宮山、尾張富士、白山)を巡る方も多くいます。暑くなる前に、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

昨日は飲み過ぎたようなので、家内の機嫌は×××”!?
今日は、おとなしくしていた方が良さそうです。

2007年7月16日月曜日

成田山、伊木山へ少し道草

帰りに、車を走らせながら、黒平山山頂から犬山城、伊木山方面を見渡した景色を思い出し、反対から黒平山を眺めたいとふと思い、急遽、成田山、木曽川対岸の岐阜県各務原市の伊木山へ寄り道して帰宅することにしました。

成田山本堂裏にある駐車場を目指します。まずは、成田山本堂裏の駐車場に車を止め、犬山城方面と町並みを眺めました。



犬山城と伊木山がよく見えるのですが、名鉄犬山ホテルとマンションが視界に入ってきて少し残念です。







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ツインブリッジもよく見えます。手前の橋がかつて名鉄電車と自動車が併走していた鉄橋です。2000年3月28日隣に自動車、歩行者用の橋ができたため、現在は、鉄軌道専用となっています。



成田山本堂へ向かいます。行ったら工事中で、境内は、半分ほどしか解放されていませんでした。ここからの黒平山の眺めは、さっさとあきらめ、退散しました。

続いて、このツインブリッジを渡り、木曽川に沿って岐阜県各務原市の伊木山へ向かいます。この山は、その形がキューピーの寝姿に似ていることから「キューピーの鼻」と呼ばれている東のピークを目指します。

各務原市の「青少年自然の家」の駐車場に車を止め、東登山口から登っていきます。「キューピーの鼻」に到着すると、突然視界が開けます。





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木曽川上流方面を見ると、犬山城、木曽川、右には継鹿尾山、成田山、中央には、6月23日のブログに掲載してある犬山城と木曽川の写真を撮りに行った「大平山」が見えます。




視線を犬山駅方面に移すと、中央付近ににかすかに見える鉄塔の向こうに、先ほどまでいた黒っぽく見える黒平山を望むことができます。





続いて、犬山ガスのガスタンクが見える方向へ視線を移すと、右には本宮山、中央に白山、左には尾張富士と尾張三山を眺めることができます。





最後に、大平山と、台風により増水した木曽川の様子を写真に収め帰路につきました。





犬山には、山が多いことを改めて実感しました。ここからの眺めは、犬山が、広大な木曽川扇状地の根っこであることを強く印象付けてくれます。

今日も撮影時間を含め、およそ6時間の里山遊歩。つい昔の癖で、家族が寝ている間に行き先を告げず、ふらりと出かけたにしては、少し長すぎたか・・・ 

携帯も持たずに出かけたため、今日のところは、素直に反省。


2007.07.16 の犬山遊歩 (上から順に)

黒平山(八曽山)の廃寺跡探訪  (別ウィンドウ)
八曽の宮標石、今井村の道標  (別ウィンドウ)
成田山、伊木山へ少し道草

2007年7月7日土曜日

本宮山は標石の宝箱

最後に大縣神社から本宮山に登りました。大縣神社の奥に位置する山です。ここには、何度も訪れています。

山頂には、大縣神社の本宮社(奥之宮)があります。大縣神社は、垂仁天皇27年(紀元前3)、本宮山頂より現社地に遷座したと伝えられており、現在の地で2000年以上の歴史を誇っています。

雨がポツポツ落ちていたため、一旦駅近くに移動しましたが、天気が持ち直してきたことから、再び大縣神社から本宮山へと向かいました。

大縣神社を抜け、ハイキング道路を上っていくと峠が現れ、本宮山への分岐が見えてきます。



本宮山山頂に向かって右手には、展望台があります。






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本宮山前展望台は、かつて周りに高い樹木が無かったため(楽田村史 165頁に写真有)、とても素晴らしい展望が得られました。

この展望台がいつからあったかは定かではありませんが、本宮山に向かうハイキング道路入口手前の舗装路の途中に薬師川砂防堰堤(昭和28年12月25日完工)があり、その築造に続いてハイキング道路と展望台が整備されました。



この展望台の手前には、宮標石があり、その裏面には「村界二」という刻字が見られます。





ちょうどこのあたりは、かつての楽田村と池野村との村境にあたるところで、この標石はそれを示していると思われます。





この南東側にあるピークの尾根筋に御料局三角点(補点)がありますが、そこでも宮標石を2つ確認しています。そのうちの一つには、裏面に「楽田」の文字が刻字されているそうで、これも村境を示すものと思われます。

中電の標柱が近接して立っており、「楽田」の刻字があることを見落としていましたので、機会を見て確認したいと思っています。

展望台を横目に、本宮山の山頂を目指します。途中の岩場に、雨宮社と山姥青黄姫龍神の祠が鎮座しています。


雨宮社は、奈良時代に大旱魃続いていたときに、朝廷より勅使が来て「来てみれば山はいずこも枯れ果てぬ。雨の宮とは何を言ふらむ。」と和歌を詠んで、帰路に就いたところ一天にわかにかき曇り、その勅使は雷に打たれて亡くなったという言い伝えが残っています。



この祠は、山姥を祀ったものです。各地に山姥伝説がありますが、この地方の伝説のあらましは、次のとおりです。





梶原影時七臣の子孫の福富新造が狩りに出たところ、山頂の奥宮の灯明の火影に白金のごとく髪一丈に余る女がいて、それに矢を放ち、その血痕を辿っていくと小池与八郎の家の門にたどり着いた。小池与八郎の妻女は具合が悪く伏せていたが、白い紙に和歌が書かれていて姿が消えていた。さらに血痕をたどると、木曽川まで来てしまった。その後、妻女の一周忌の法要の際に老僧から「苧ヶ瀬池と呼ぶ池に一匹の大蛇が死んで浮かんでおり、左目に長い矢が射られていた。村人はその大蛇を供養すべく池の中にある小島に鳥居とお社を作り供養している。」と立ち去っていった。妻女は、苧ヶ瀬池の竜女であった。



そこを過ぎ、山頂(293m)にたどり着くとそこに本宮(奥之宮)があります。この奥之宮裏手には、「方位標」と「一等三角点」があります。





方位標は、「任意の観測点において、ある方向の方位を一定に保持するため地上に設置された目標」(田島稔編:測量用語辞典 山海堂 1997)とされています。




一等三角点は、三角形の平均辺長45kmごとに全国に972点の花崗岩でできた角柱が設置されており、愛知県には8点、岐阜県には17点、三重県には11点あります。




ちなみに、方位標の脇には、入鹿池方面へ下る東尾根道があり、そこでも宮標石を確認しています。この道は、入鹿池方面から本宮山山頂への最短ルートであり、かつては入鹿池に沈んだ村の人々が信仰の道として使っていたのかもしれません。

そのまま下ると、愛知用水脇の砂防指定地の標柱があるところへ出ます。愛知用水沿いに下流に向かって歩を進めると、天然記念物ヒトツバタゴ自生地、本宮山ハイキング道路へと続く道と交差します。

余談ですが、昨年この東尾根道では、イタチが捕食したと見られる鳩の羽根が散乱した様子がこの道のすぐ脇で見られました。道路で分断されていますが、多治見、瀬戸などの山々と続いており、熊や猪の出没騒ぎが周辺の一部の山でありましたので、少し緊張しながら歩いたことを覚えています。


2007.07.07 の犬山遊歩 (上から順に)

大縣神社にある楽田村道路元標  (別ウィンドウ)
殿守(天守)発祥の楽田城址  (別ウィンドウ)
本宮山は標石の宝箱