2008年2月16日土曜日

古戦場、興禅寺、羽黒城址と山内一豊

次は、名鉄小牧線羽黒駅周辺。

八幡林古戦場は、秀吉が犬山城に、家康が小牧城に本陣を置いて、8ヶ月に及ぶ激戦が続けられた最初の地。1584年小牧・長久手の戦いの前哨戦とも言うべき戦いがここで繰り広げられたのです、


名鉄小牧線羽黒駅南200メートル、犬山市立羽黒小学校東の所に林が残っています。






秀吉方、森武蔵守長可(森蘭丸の兄)の家来の野呂助左衛門と嫡子の助三郎がここで討死。この親子の戦いぶりと子が長く語り継がれ、現地には記念碑「野呂塚」が建てられています。記念碑は、八幡林の東、名鉄小牧線の踏切を渡ってすぐの所にあります。

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森長可の敗戦を聞いた秀吉は12万の大軍を率いて大阪を発ち、犬山城に入ります。一方家康は、小牧城に入り、ここに本陣を置きます。小牧・長久手の戦いの始まりです。

そこから北に位置する犬山市民文化会館から南の方向に目をやると、竹林が見えます。ここに羽黒城址があります。古墳の上に築かれた城で、城主は梶原氏、小牧・長久手の戦いの時秀吉はここの砦を修築させ、山内一豊らに守らせたと言われています。


羽黒城址の入口は、わかりづらく、竹林の西の道路を進んで、集合住宅と民家の間にある通路から入っていきます。


すぐ西隣にお寺があります。興禅寺です。鎌倉時代初期、源頼朝の家臣梶原景時もしくはその一族が菩提寺として建立したとされています。戦国時代の山内一豊の母法秀尼は梶原氏の出身と伝えられ、ここが出生地と言われています。


1584年の小牧・長久手の戦の兵火にあって焼失し、1596年に梶原屋敷内に再興されたもので、今もこの付近の地名を城屋敷といい、寺には梶原景時の首を葬った墓があります。また、先ほどの羽黒城の土塁がこの寺の北側の竹林に残っています。


NHKの大河ドラマ「功名が辻」(2006年)で一躍有名になり、全国各地から観光客が訪れるようになりました。

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2008.02.16 の犬山遊歩 (上から順に)

開花しました。大縣神社のしだれ梅  (別ウィンドウ)
古戦場、興禅寺、羽黒城址と山内一豊
廃線モノレール、成田山そして東之宮古墳  (別ウィンドウ)